「好きなことを仕事にする」のはなぜ危険なのか

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時々学校の教師に言われた「好きなことを仕事にしてはいけませんよ」という言葉を思い出す。何故?と聞くと教師はこう答えた。



「「好きなことを仕事にすると、イヤな面も見えてしまって素直に好きではいられなくなる。辛いこともたくさんある。好きなことそのものを守るために、仕事にはするな」と。



で、忠告を無視して結局好きなことを仕事にした。コンテンツを生み出すという仕事を。取材してライティングして漫画描いて記事を書くと言う仕事を、今、私はしている。好きなことを仕事にするというのは、「好きなことと社会の接点を探し出す」という大変である意味辛い努力を経て達成できうるものだ。だからこそ、好きなことを仕事にできた時は本当に嬉しかった。


で、好きなことを仕事にした私が結局どうなったかと言うと。



「好きで好きで仕方が無いもんはちょっとくらいイヤな面を見たからって嫌いになんか到底なれなれなかった」が結論である。「好きなこと」っていうのは、人によって定義がもちろん違うが、私にとっての好きなこととは「一秒でも早く眠りたくてご飯も抜き入浴も諦める、それくらい疲れている時でもついついやってしまうことが、好きなこと」なのだ。そんな簡単に嫌いになんかなるわけがなかった。





子供の頃、周りの大人が忠告してくれた「好きなことを仕事にしてはいけないよ」というこの言葉。ありがたいことに、彼らが口にした「理由」は私には当てはまらなかった。ただ、ただである。



ただこの仕事についた今でも「好きなことを仕事にする」というのは簡単ではないしなおかつ容易に決定してはいけないと私は思っている。




私は今漫画を描く仕事を持っている。楽しくて楽しくて仕方が無い。心から、この仕事のことを大好きだと思うし、この職業につけたことを誇りに思っている。これからも、そう思い続けるだろう。



ただ、私は初めて漫画を描いた時、思ったのだ。「漫画を読むのが好きな人が漫画を描いた時に楽しめるとは限らないんだな」と。漫画と言うコンテンツを楽しむ消費者側にいる人間が、漫画を生み出す生産者側に立っても同じく楽しいかといったらそうでないケースだって当然存在するのだ。


もっと言ってしまえば、美味しいものを食べるのが好きな人(消費者)がコックさん(生産者)になっても楽しいかというとそうとは限らないということだ。



消費者が生産者側へ回るには確固たる知識と技術が必要だ。「熱意だけ」では到底あちら側へはいけないのだ。「熱意だけは絶対に負けない!」と言った所で知識と技術がなければ意味がない。ましてや生産者側に回ったプロの人間たちは「熱意」なんて言葉をはるかに通り過ぎた「怨念」や「怨嗟」といった言葉がふさわしいほどの熱を内に秘めている。消費者が勝てるような代物では、あれはないと私は見て思ったのだ。




――「好きなことを仕事にする」のは容易ではない。容易ではないが、だからこそ、達成したときの喜びははひとしおである。


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